田舎のこと

おじいちゃんが今朝亡くなったそうだ。

享年86歳。
多発性骨髄腫という癌で、4年、頑張った。
8月の始めに母から連絡があり、もう長くないだろうとのことだった。なんとか会いに行けないかと思ったけど、まだ首も座っていない息子は愛媛の片田舎まで半日以上の移動は難しいだろうから、来てはいけないと言われた。
数日前に、もうあと1週間もたないだろうと連絡があり、週末にもう意識がなくなっていた。母と叔父、祖母が交代で病院に泊まりこんで、昨晩は母が付き添っていた。祖母と叔父は間に合わず、母は一人で看取ったそうだ。

祖父と最後に会ったのは2年前。5月に夫さんと2人で行った。そのときはもう昔のようにみかんの世話をしたりはしていなかったけれど、家にいて静かににこにこと迎えてくれた。もうめったに外には出ないようだったけれど、私が釣りに行きたいと叔父に言ったら、一緒に来てくれた。

まだ私が実家にいた頃は、毎夏、お盆に家族で帰っていた。
近くのスーパーに行くのさえ15分かけて山を降りないといけないようなど田舎で、中学生の頃は携帯電話も通じなかった。まわりは山とみかん畑。スプリンクラーが水を撒き、剪定機が枝を切り落とす音、ツクツクボウシの鳴き声、こだましてきこえる町内放送。
お盆になると裏の坂道をみんなでぞろぞろ歩き、おじいちゃんが白い木に火をつけて迎え火を焚いた。蝋燭に火をうつし、それを家の祭壇までもっていくのを、あとをついてまわった。私は仏教とかはよくわからないけれど、9歳のときに死んだひいじいちゃんも14歳のときに死んだひいばあちゃんも、ちゃんとそこに来ていると思った。それから、15日に帰らずに、もっといてくれればいいのにとも思った。
小学生の頃は、かぶとむしを捕りにいった。おじいちゃんはかぶとむしの来る木を知っていて、夜のうちに蜜を塗っておく。明け方、まだ5時とか6時に軽トラに乗って捕りに行く。と言っても、私は木に届かないし、そもそも虫もさわれないから、おじいちゃんにとってもらったかぶとむしを虫かごに入れて眺めているだけだった。それでもつやつやとしたかぶとむしは魅惑的で、籠の隙間からでた脚にこわごわ触りながら、いつまでも眺めていられた。
中学生になると、海に釣りに行った。じゃみと呼んでいた餌を網にいれて、釣竿を勢いをつけて投げる。浮きをじっとみて、つつっと沈んだらリールを巻く。たいてい、鯵が釣れた。釣れる時は100匹くらい。ときどきおこぜや小さなふぐも釣れた。私にできるのは、ここでも釣り上げるところまでで、魚を針から外すのは父や祖父にやってもらった。
おやつには、おばあちゃんが握ってくれたおむすびや、蒸しパンを食べた。海で食べるおむすびは不思議とおいしい。
釣りは釣れなくなると飽きてしまうので、たいてい本をもってきて車の中で読んでいた。日が落ちて文字を追うのが辛くなる頃、ようやく片付けが始まる。
車で登る夜の山道は、もちろん街灯なんてない。フロントガラスにあたる虫たち、ときどき、イタチがあわてて逃げていくのも見えた。何度も通っている道なのに、夜はなんだか不安になって、家の灯りが見えるとほっとした。
釣った魚はおばあちゃんと母さんが次から次へと捌いていく。刺身、天ぷら、握り、南蛮漬け。おじいちゃんと父はテレビを見ながらお酒を飲んでいる。網戸には蛾や甲虫がとまっている。父が煙草の火を近づけると虫たちはバタバタともがく。
車庫の屋根に登ると、たくさんの星が見える。白く煙ったような天の川も。池では蛙が鳴いている。

帰る日は、おじいちゃんは私たちの大荷物を持って車に運んでくれる。
みんなでお地蔵さんに手を合わせて、事故にあわずに無事に帰れますようにと心の中でつぶやく。
山を降りる途中には、数カ所、家が見えるところがあって、そこで止まっては窓から手をだして大きく振り、クラクションを鳴らす。おじいちゃんとおばあちゃんも手を振っているのが見える。そうして夏休みが終わっていく。

ここに書ききれないような細かな思い出とも言えないような記憶がたくさんある。

祖父と最後に交わした言葉はなんだっただろう。
母はなんともないような声をしていたけれど、一人で父を看取るというのはどんな気持ちがしたのだろう。
家族そろって最後に帰省したのはいつだっただろう?
わたしはいつの間にか、別の家族の一人になって、生まれたばかりの息子を抱いている。
お通夜にも告別式にも行けないので、丁寧にひとつずつ、あの夏の日々を思い出す。
息子がもう少し大きくなったら、連れていってあげたいと思う。